人生ゲーム第六話【犬のスージーと両親の決断】

            人生ゲーム第六話【犬のスージーと両親の決断】

このゲームから除外された参加者、生物はどこに行ったか分からない

私は犬を飼っていたイギリス国の父が連れてきた犬のスージー雌である

スージーは全く言うことを聞かない子だった。家中を子犬が走り回る

小さい頃の私は子犬に近づくのに少し戸惑いを見せたが次第に友達になった

スージーは人生ゲーム初の友人となったのだ。公園に連れていくと忽ち逃げ出す

それを追っかけ回した。

生物とはいずれ死を迎える。死を迎えた生物はゲームから除外される。

犬は人間の7倍のスピードで死を迎える。君はうちに来て幸せだった?

君は言葉を使わない。表情や態度で一生けん命表現していたよな。

私には未だにわからない家に来たのが彼女の幸せだったのか。

しかし考え方を変えてみたのだ。彼女は10年少しの命だったが

私たちに幸福な時間を与えてくれ私たちの記憶というものに、存在し

続けてくれた。死を迎えた後も私たちのゲームの背中を密かに押している。

私たち人間は残酷である。強くなった立場を利用し生物のゲームを、操り

自分達がしたことは犬も生物も幸せだったよ。と決めつける。それは生物に聞いてみないとわからない。人間は表現で伝えることができるのだ。生物は違うのである

ありがとうスージ、マイベストフレンド

私の父はイギリス人である。母との奇跡の出会いにより私はこのゲームに参加した

私を創設した。人生ゲームを語る上で外せない人物であろう。子供ながらに私は

母と父の不仲に気づいていた。私の記憶の中には喧嘩しているシーンが幸せだった

シーンを超えてしまった。私の父への正確な記憶は数える程しかない。

母の弟のおじさんと英語で話していた記憶、別居した父の家に遊びに行きカードゲームを

したこと、私を電子レンジに入れようとして母が激怒したこと。そしてそんな父に会いたいと

妹は海外に行き10年以上ぶりに写真で見た彼は記憶と妄想の中間だった

母と父の間には何があったのか私は、わからないしかし運命を決めるのはゲームの参加者

である。母が幸せなら。といった。しかし、母は再婚をした。私はまだ精神的に子供で

母の思い決断を理解できず、心ではまたかよ。と思っていた。母の傷ついた姿を見たく

無かったからである。しかし私の考えは違うことに気づかされていく。

継父に私は罵詈雑言を浴びせる。死ねよ。お前は私の父ではない。思春期真っ只中の

私は妹、弟、母、祖母にまで当たり散らかしていた。骨折した私を学校まで連れていこうとした父に対し私は反抗的な態度をとり続ける。人間とは、成長し続ける生き物である。

成長につれ私は自分のしたことの愚かさにやっと気づけた。兄弟よりずっと成長が遅かった。父と話していれば。時に私はそう振り返る。今からでも遅くないのかもしれない

言語という壁を乗り越え心で通じ合えた貴方に感謝している。母を。家族を守り続けてほしい。グットラックマイファーザー。

 

人生ゲーム第7話【死】に続く